観光業界(滋賀県 料亭旅館やす井旅館の事例
はじめに
観光業は、もともと外部環境の変化にその業績が大きく左右される産業である。これまでも阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとする「地震」や、SARS(サーズ)、MERS(マーズ)、鳥インフルエンザなどの「感染症」、世界各地で起こる「テロ」、近年では地球温暖化の影響を受けて発生する多くの「自然災害」などにより、毎年のように大きな被害を受けてきた。慣れっこになってきた感がある観光業界であるが、今回のコロナは見ての通りで、観光業界はこれまでに経験した事のない「未曾有の危機」に陥っている。そんな観光業界における支援の現状について紹介する。
1.観光関連業界の現状分析
(1)現在の旅行・観光消費動向概観
まず、近年の観光関連業界の状況を概観する。観光庁が発表した「旅行・観光消費動向調査」によると、2020年(1月~12月)の日本人国内旅行消費額は、9兆9738億円(前年比54.5%減)となった。このうち、宿泊旅行は7兆7723億円(同54.7%減)、日帰り旅行は2兆2015億円(同53.9%減)であった。
2021年1-3月期の速報は、1兆6,458億円(前年同期比50.1%減)、宿泊旅行は1兆2,865億円(同50.8%減)日帰り旅行は3,593億円(同47.3%減)となっている。
訪日外国人旅行消費額は、新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年4-12月期の調査は中止となったが、年間で7,446億円と試算されており、2019年(4兆8,135億円)に比べ4兆円以上落ち込んでいる。両者合わせて約16兆円の消費が減少したということである。

(2)絶体絶命の日本の旅行業界
観光庁の調べによると、2020年度の主要旅行業者46社平均の総取扱額は、対前年度比78.4%減であった。上位10社を見ると、最大手であるJTBの前年比売上高は26.7%である。これは業界の中ではまだ良いほうで、少ないところでは前年比でひと桁、HISでは5.8%しかない。これは前年比で94%以上のマイナスということである。海外旅行の取り扱いの多い阪急交通社なども8割以上の大きな落ち込みである。このように、日本の大手旅行会社は絶体絶命のピンチを迎えており、その影響を受ける宿泊施設、運輸施設、観光施設等の状況も総じて大変厳しい状況となっていることが見て取れる。
2.実際の支援事例(滋賀県内旅館の取組)
こうした厳しい環境の中でも「明けない夜はない。夜しかできないこともある」とのおもいで、ピンチをチャンスに変える取組に挑戦している旅館の事例を紹介する。
旅館名:料亭旅館 やす井(株式会社千成亭風土グループ)
代表者:上田健一郎
所在地:滋賀県彦根市
客室数:9室
創業:明治2年(1869年)
料亭旅館やす井は、明治2年に創業され、彦根城主、井伊家から井の字をいただいて「やす井」と名付けた老舗旅館である。設備として、特別室1室を含む9室の贅沢な客室と3つの宴会場等を備えている。国宝彦根城やJR彦根駅からほど近い街中にありながら広大で手入れの行き届いた庭園を有し、歴史ある落ち着いた雰囲気の中で琵琶湖の「湖魚」や「近江牛」、地元野菜をたっぷり使った懐石料理が評価され、地元や全国のリピーターも多い。
しかし、バブル期の過大な投資や、昨今の行事簡素化、施設の老朽化等の影響により、業績不振に陥りM&Aによる事業再建を希望し、令和元年10月に、地元で近江牛専門店「千成亭」を10店舗営む株式会社千成亭風土が、新会社「株式会社粋屋やす井」を設立して事業を承継している。新経営者は、飲食店経営に関しては地元で実績のある方だが、宿泊業は経験がないとのことで、新体制移行時から支援要請を受けた。
当時、まだインバウンドの全盛時期であり、それらを取り込むためまず最初に取り組んだのは、ここにしかない「名物料理」の開発であった。冒頭紹介したように、当旅館は井伊家伝統の旅館である。なにかこのことを活か料理開発ができないか、料理長と相談し思いついたのが、歴史好きの富裕層、京都まで来ているインバウンド顧客の誘客を目的とした、江戸期の「井伊家の婚礼料理」の再現であった。当時二昼夜続いたという豪華な宴会をイメージした料理を提供できるのは当館だけであるとの思いで歴史的価値を活かした商品開発を行った。そして、パンフレットの作成、商談会への参加、旅行会社への営業準備がまさに整った矢先に「新型コロナウィルス感染症」が発生した。

江戸期の「井伊家の婚礼料理」を再現
(1) 宅配商品の開発
コロナ禍で最初に取り組んだのは、待っていても客は来ないので、こちらから仕掛ける商品開発であった。具体的には、当館自慢の料理を宅配でご家庭に届けるサービスを行うこととした。合わせて、宅配予約を直接受けられるようするためのホームページの改修、プロカメラマンによる料理写真の撮影を行った。
宅配商品はいくつかの候補が上がったが、最終的に「びわ湖のすっぽん鍋と近江野菜」をメイン商品とした。琵琶湖畔で養殖された臭みが全く無いすっぽんとすっぽんエキスがたっぷり入った自家製出汁、地元で採れた近江野菜を詰め合わせることとした。社長以下全従業員で試食を重ね、満足の行く味に仕上げた。評判は上場で、これまでに約70件の注文を頂いている。この料理は、これまでのメインであった近江牛と並ぶ名物料理に育ってきている。また、当館には同経営のうどん店「しる万」があり、そちらでのお持ち帰りメニューの開発、近辺への宅配サービスも開始した。

宅配メニューの開発「びわ湖のすっぽん鍋」
(2) 全従業員が集合する初めての研修
次に取り組んだのが、全スタッフを対象としたホスピタリティー研修、接客・接遇マナー研修、幹部社員を対象としたマネジメント研修である。旅館業は、年中無休、24時間稼動、担当別の縦割り管理といった特徴があり、当館もこれまで皆が一同で集合研修を実施する機会はなかった。そこで、第一回目緊急事態宣言が発令されて、全館休業が決まるやいなや、2日間にわたる全体研修を開催した。研修テーマは「コロナ禍でもお客様に選ばれ続ける旅館になるために」と題し、研修のゴールを、①『3年後のなりたい姿』を具現化すること、②従業員のコミュニケーションを活発にし、部門に拘らないマルチ対応ができるようになること、と設定した。「おもてなしとサービスの違い」を学んだり、経営幹部、フロント、営業、調理、接待、日頃は一緒に仕事をする機会が少ないメンバーを組み合わせてのSWOT分析などを行った。そして最後は、「三方良し」で知られる近江商人の教育法を描いた映画「てんびんの詩」を鑑賞した。参加者からは、「はじめて調理場の方とお話しました」、「営業は、旅行会社からこんなクレームを受けていたなんて全く知らなかった」、「お客様を獲得することはこんなに難しいことなんだ」等の声があがりました。
また、幹部社員を対象としたマネジメント研修では、コーチング力を高め組織内のコミュニケーションを活発にする手法を学んだ。
どこの企業でも開催されている研修であるが、旅館業において全部門スタッフ集合研修はこれまで実施されることは少なく、まさに「いまだからこそできる」研修となった。
(3) 事業再構築補助金の活用
今年になって、新型コロナ禍で思い切った改革に挑戦する企業を手厚く支援する「事業再構築補助金」が発表された。これまで旅館業は、サービス産業の中でも装置産業的な要素が強い産業であった。業績の悪化に伴い積極的に設備投資できる余裕がなく、老朽化し更に客足が離れるといった負のスパイラルに陥っている施設が非常に多く、当館もまさにその状況である。私はこの補助金が発表された際に、「これだ!」と思ってすぐに社長に活用を提案した
①唯一無二の「和モダン✕近江牛」の隠れ家宿を目指す
当補助金の申請テーマを、「日本のどこを探してもない、唯一無二の和モダン✕近江牛の隠れ家宿への進出」とした。明治期から続く井伊家ゆかりの老舗料理旅館という伝統に、新事業会社である千成亭風土グループから、シャトーブリアン等こだわりの希少な近江牛を調達できるという最大の強みを活かし、サービスを提供する空間にもこだわり、「滋賀県ナンバーワンの近江牛旅館」を目指すという計画である。

当館に関連する3つの色をテーマにしたアートな個室【赤の間】井伊家の赤 【緑の間】びわ湖の緑 【黄の間】近江米の黄
②弱みを克服して強みに変える
当館の弱みは3つ。1つ目は、行事の簡素化に伴う宴席、結婚式等、日帰り利用客が減少していること、2つ目は、館内から「国宝彦根城」を眺望できる空間がないこと、3つ目は、ターゲットである富裕層客に対し、調度品やサービス等が陳腐化していることである。
これらを克服できるよう手立てを考えた。その時たまたま私の頭に浮かんできたのが、赤色と越前和紙を使った作品をテーマに国内外で活躍している現代美術作家である松宮喜代勝氏への協力要請であった。老舗旅館にモダンアートを取り入れることで、両者の良さがより際立ち、新しい空間が生まれるのでは無いかと考えたのである。、松宮氏は、たまたま私がある公的機関で知り合ったであるが、私の頭の中で、「井伊家の赤備え」と「松宮の赤」がぴったり一致したのである。
そんな理由で松宮氏にアートプロデュースを依頼し、玄関先に井伊の赤備えをモチーフにしたオブジェの設置、館内に色をテーマにした3つのステーキハウス、屋上に彦根城を眺望できる総ガラス張りの個室と越前和紙でできた茶室を設置する計画を立てた。

これらの取組は、海外旅行や遠出の憚られる中での「マイクロツーリズム」ニーズを充足し、不要不急の外出自粛中の「ハレの日」に外食を楽しむ傾向、コロナ禍で行動に制限がかかり、レジャー欲求がプライベートに集中する中で、非日常体験を堪能したいといったニーズに応えるための取組であり、これまで宿泊業だけに頼ってきたリスクを分散させる取組でもある。
計画の実行はこれからであり、効果はまだわからないが、公募後、社長から「採択されました!ありがとうございました!」と、これまでで最高に
弾んだ声でお電話頂いた時、私も大変嬉しく、成功を思い描いている。
3.支援者に向けてのポイント
最後に、今後観光業界をご支援される方に、私が心がけている支援のポイントを3つお伝えしたい。
(1) 誘致・誘客発想からマーケティング的発想への転換
これまでの観光業界は、「ぜひ観光にに来て下さい」という誘致・誘客的発想が中心で、各地で観光客数を増やそうとするキャンペーンやプロモーションが展開されてきた。地域のハッピに身を包んだキャラバン隊が、旅行会社や駅などでチラシを撒いたり、試食品を配っては、我が地域に来て下さいとお願いを重ねていた。さて、ここで考えて欲しい。全国にある人気観光地や、人気旅館は、誘致されたから人が来たのであろうか。そうでは無いはずだ。その地域・施設が持っている魅力に惹きつけられたからこそその地に足を運んだのである。だから、これまでのように売りて視点ではなく、買い手視点で、放っておいても人が集まってくるような仕組み作りを行うことが重要である。観光業の成功のために私が最も大事だと思っていることは、「一度来た客が繰り返し来てくれるかどうか」である。観光も飲食も、1回目はチラシや広告宣伝で来てもらえるかもしれないが、その後も来てくれる、周りの人に宣伝してくれる、そんな魅力を作ることが重要である。具体的には、そこでしか食べられない独自性のある食事、普段とは違う空間の提供、地域特有のホスピタリティー(おもてなし)などである。
(2) 顧客が最初に接するスタッフが企業の印象を決める
「他にはない独自の商品、サービス」を提供しないと生き残れない時代になっている。そのためには、上から伝えた画一的なことをやっているだけでは顧客の心に響かない。サービス業の1つの特徴に「非均一性」がある。顧客が受けるサービスの質を一定にすることが難しく、顧客が最初に接するスタッフ(コンタクトパーソネル)の対応がその企業の印象を決めてしまう。だから、経営者は、それらの人々のサービスレベルを一定の基準まで向上させることがまず重要であり、それ以上の部分に関して、スタッフが自主的に判断して動ける環境を整備すること、権限移譲することが大切である。
(3) システム活用(CRM)による効率化
観光業の現場は、皆さんの想像とは違って、まだまだアナログの世界がたくさん残っている。今だに連絡事項はFAXということも多い。「顧客管理はできていますか?」と尋ねると中小施設では「できていません」という答えが多く、大規模施設でも「やっています」と答えるものの、「どう活用しているか」と突っ込むと「単に顧客データを残しているだけ」という所も多い。
コロナ禍で、売上減少、従業員の削減という負の流れを断ち切るためにもシステムを活用した効率化が重要である。「顧客データは宝」という気持ちで顧客データを収集する。年齢・性別・国籍・家族、旅行の目的といった予約情報、喫煙するかしないか、普段どこの新聞を読んでいるか、といったお客様の嗜好情報、過去に、誰と来られたかといった滞在履歴、などを分析し活用するということが大事である。それらができると例えばホテルであると、3泊以上したお客様グループへ連泊プロモーション、 40代女性のお客様グループへ美容プランの提案等的を絞ったプロモーションが可能となるし、何よりお客様と効果的なコミュニケーションがとれるようになり顧客満足度を向上させることができる。
以上、私が観光業をご支援する際、特に心がけていることである。
おわりに
大阪のあるホテルの専務は、従業員の雇用を守るため、ありとあるゆる取組を実行されている。そして、コロナ禍で全社員と約束してる事があると語られた。 「コロナのせいで・・・とは絶対言わない。コロナのおかげで・・・と言おう」確かに今回ご紹介した事例等、今だからこそできることはたくさんある。苦しい時期ではあるが前向きに行動していただきたい。